注)BLOOD+パロです。
「な、んで……」
何がどうなっているのか…震える脳は現実を現実と受け入れようとはしなかった。
ファーストキス
日差しが白銀の針の如く肌を貫き、焼いていく日々は俺にとって退屈なほどの平和をもたらしていた。
初夏。
青々と茂る木々の下、柔らかく弾力を持つ土の上を一路、おそらくもう誰もいないであろう学校へと向かって駆けていく。
傾く日は徐々にスピードを増して赤く赤く……まるで血のように染まる。
近道と称して森を抜け、商店街に差し掛かった。
二の腕をくすぐる半そでシャツの制服。
ふわふわと揺れるクセの激しい髪。
日中、どんなに多くの紫外線を浴びようとも黒くはならない肌。
男にしておくにはもったいない、と笑われたことさえある瞳と唇は、あまり好きではないものの、これも俺を構成している部位なのだと思うと手放そうとは思えない。
穏やかな日常。
緩やかな光景。
…一年以上前の記憶がない、ということさえ目を瞑れば、俺は非常に平凡だからこそ愛おしい生活を送っている。
「ツナ兄ー!」
「!フゥ太!」
草場から石畳へ。
踵を鳴らして降り立ったところでかけられた声は甘やかなボーイソプラノだった。
「そんなに慌てて、どこ行くのツナ兄?もうすぐ晩ごはんだよ?」
「い、いやーそれがさ……忘れ物しちゃって…」
午後六時。
普段ならばとっくに帰宅し、ごはんの時間まで自室で遊びふけっている時分。
フゥ太は……確か、母さんが買い忘れた調味料を買いに出ていたんだっけ。
目を丸くしてきょとんと俺を見るフゥ太の手元には白いビニール袋が下げられている。
「またー?ごはんできるまで、あと三十分くらいだって言ってたよ」
「悪い!帰るまで待っててくれよ!出来るだけ早く戻るから!明日提出のプリントだから今日中にやらないと、また補習くらっちゃうんだよー」
「もー!………ほら、あと二十九分ー!」
「ええー!?――い、行ってくる!」
「いってらっしゃーい」
呆れたような、諦めたような視線を俺に投げたフゥ太を横目に、俺は再び地を蹴った。
早く帰らなければ。
あの様子じゃ、あまり時間はもらえないようだ。
晩飯食いっぱぐれ、という事態だけは避けたいから!
息を乱しながら辿りついた鉄格子はしっかりと施錠され、すっかり夜の闇に包まれてしまった校舎を封じ込めている。
夏の日没は早く感じる。
暮れるまではたっぷり時間を与えられているように思えるけれど、傾きだしてからがすごく早いように思えるのは……やっぱり名残惜しいからだろうか。
「っと」
だが、そんなことは置いておいて。
間近に迫る夏休みを快適に、補習なしで過ごすためにも、閉じ込められてしまったプリントを救出に行かなければ。
慣れた手つきで淵に足をかけ、反動をつけて一気に乗り上げる。
トン、と足音を残せば、体はすぐさま目的の校内に着地を果たしていた。
少しふらついてしまったものの、空腹にも促され、俺はさっと一歩を踏み出した。
その瞬間。
「………なんだ?この音……」
優雅、かつ流麗な、ほどよい低音が滑らかなワルツを奏でている。
腹に沈むような一拍目。
掬い上げられるような二拍目。
ふわりと裾を跳ね上げるような三拍目。
まるで手を差し伸べられているかのような……。
ハッと後ろを――今しがた立っていた校門の向こう側へと目を向ければ、いつの間にか人だかりが出来ていた。
ささやかな人の輪。
その中心。
ゆったりとした、けれどどこか力強い弦の動き。
垣間見えた、銀色の―――。
薄暗い螺旋階段を駆け上がり、慰みのようなバラの蔦を越え、抜け、横切れば、目の前に現れた扉は豪奢な錠がかけられている。
右手に握った『ソレ』を錠に突き立てれば、軽やかな音を残して扉が解放された。
ぞっとするほど冷たいドアノブ。こんなところにずっといたのか。
迷いはない。むしろ喜ばしいことだ。
これで…これで喜んでもらえるはずなのだから。
だって、この奥には…この奥には――。
「あっ……!」
ピタリと止まったチェロの音と、サッと吹き付けてきた風によって世界が帰ってきた。
今のは、一体…。
思わず上がってしまった声によって、見つめていた人の輪の注目を浴びてしまう。
どうしたのだろう、という純粋な気遣いや疑問が込められた視線の数々。
……恥ずかしい。
別に悪いことをしたわけではないが、何もなさすぎるのに声を上げたことで、異様な恥ずかしさが生まれてしまった。
数多の視線を振り切るように目的地へ足先を向ける。
背に注目を受けながらも、俺は何もかもを振り切る勢いで教室へと走りだした。
「……やっと……」
銀髪を風に流しながら、見送る視線に気づかぬままに。
「あった!」
教室内で唯一、鍵が壊れて開きっぱなしになっている窓から忍びこみ、机を漁れば、案の定皺のよったプリントを発見することができた。
これで補習は免れるわけだ。
数学は苦手だが……なんとか提出さえしてしまえば、楽しい夏休みが待っているにちがいないのだから。
ほっと息をつき、折っていた膝を伸ばす。
電気も点けないまま探していたので、辺りは既に夜の始まりを感じさせていて…。
身体を支えるために寄りかかっていた机から手を離せば、ガタンと小さく揺れる。
ガタン、と。
ガタン
「………え」
ガタ……ガツガツ
何か。
何か、音が……。
視線を左右に泳がせる。
窓の外。
誰もいない。
廊下側……も、誰も…。
と、確認した瞬間。
「………」
ガゴ、という鼓膜を強く叩く響きと共に、入り口の扉がスライドする。
開いた廊下への出入り口には……長身の人影が、立っていて。
「ぁ……」
すっかり日の暮れた教室内は、ぽっかりと浮かびあがる月の眩い明かりが唯一の光源。
スラリと伸びる四肢。
漆黒で総身を包み、大きな箱……棺おけに似たケースを背負って立つ、男。
銀色が。
サラサラと散る、長い長い銀糸が、月光を照り返して俺の目に焼き付けられる。
「あ、んた……」
数分前のことだ。受けた恥ずかしさによって、印象も深い。
髪と同じ銀色の双眸。
そこに立って、出入り口を塞いでいるのは、先刻のチェロ弾きの男だった。
「な、に…?」
痛いほどに鋭い視線。
問うても返されない言葉。
何を考えているのかわからない、というのが、彼の不気味さや怖さを惹き立てている。
怖い。
「あんた、なに…!?」
無言のままに、コツリと。
彼の黒いブーツが教室内へと踏み込んでくる。
「やだ……!」
なにがなんだかわからない。
一歩一歩近づいてくる男から、じりじりと後退することで逃れようとする俺の限界は……見なくてもわかりきっている。
並べられた机を避け、教室の角まで追い詰められれば、逃げ場など皆無で。
コツコツと、迫る足音の間隔は徐々に短くなっていく。
怖い。
恐ろしい。
ナイフのような、刃物のような眼光が、一心に俺だけを貫いている。
「な、んで……」
「やっと、会えたなぁ……」
漸く俺の耳朶が聞き取った彼の言葉は、俺の問いに答えるものではなかった。
けれどその声音は、俺の胸をも締め付けるほど、哀愁に満ちていて。
……なんだろう。この、奇妙な……ぎゅっと絞られながらも、手を伸ばさずにはいられなくなるような感覚は。
「ツナヨシ」
終に追い詰められた。
壁と壁。縦と横の接合部。
教室の角まで俺の身体は後退し、男の身は侵攻した。
閉じ込められるかのように、彼の腕が俺の顔の真横に突きたてられる。
逃げ場を失って竦むしかない俺の身は、異様な高揚によって震え始めた。
ガシャン!
「!?」
ゆっくりと男の顔が近づいてくる様から目を逸らせずにいると、突如、甲高いガラスの割れる音が鳴り響いた。
けれど、今の俺には何も把握できない。
壁のように、男の身体が遮っていて、何も伺い知ることが出来ないのだ。
ビクンと肩を揺らして身が自動的に竦む。
ガシャンガタンバキリという破壊音が、どんどん近づいてくるのだ。
「……ぁ……!」
わからない。
怖い。
逃げられない。
逃げなきゃ。
でも。
混乱に渦巻き、グルグルと回り始める世界の中、俺はただ硬直するしかない。
……このまま、わけのわからないまま…俺はどうなってしまうのか。
加速し始める思考は叫び出しそうで悲鳴一つ上げられない喉の奥を絞めつけて。
「―――」
バアン!と、一際大きな、机の板面を叩き割るような音が響いた、と思った刹那。
眼前の男の姿が横にずれ、現実が飛び込んでくる。
「う、わぁあああああ!!」
形容しがたい、異形。
グロテスク。生々しい。
気持ち悪い。怖い。化け物。
単語だけが脳裏を駆け巡るほどの衝撃。
己の身の丈の倍以上ある、人間ではありえない……黒い、筋肉が発達しすぎたような化け物が腕を振り上げていた。
鋭い爪が、俺を捉えている。
痛い。
あんなもの、身に受ければひとたまりもないに決まっている。
死ぬのか。痛いのか。怖い。いやだ。
なんだこれ。夢じゃないのか。
いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ!!!
「ツナヨシ」
ぎゅっと瞼を下ろした瞬間、風を切る感覚が頬を打つと共に、背と膝を掬い上げられた。
ハッと慌てて目を開ければ、そこは……廊下で。
視界いっぱいに広がる銀色。
「ツナヨシ」
呼ばれる。
男は俺を抱えたまま、廊下を疾走して階段を飛び降りた。
破壊音が追ってくるから、化け物の狙いは確実に俺たちなのだろう。
石を削り、叩きつけるような打音の連続が近づいてくる。
と、肌をくすぐっていた風圧が止む。
校舎を飛び出し、校庭に差し掛からんとする草むらの影。
植えつけられた木の幹に背を預ける形で立たされる。
膝裏の腕が離れて。
「ツナヨシ……」
じっと。
真っ直ぐに見つめてくる視線と、ぶつかる。
恐ろしいほどに、直線的な眼光。
吸い込まれてしまいそうで、思わず逸らせば、チラリと。
小さな光が目についた。
「え……」
すらりと引き抜かれる、刀身。
柄に近い部分が妙に突き出た刀。
ソレが、掲げられた。
「な、に……!」
ポタリ、と俺の服の上を赤の斑点が汚していく。
見開いた目を逸らせない。
男は……刀身を手で握りながら、鞘から引き抜いていたのだ。
それが、すっと目の前に突き出される。
「なんなん、だよ…!」
答えない。
わけがわからない。
やっぱり怖い。
嫌だ。
なんだろう。これはとても、嫌なことだ。
「やだ!いや、だ!」
ぐっと寄せられる腕をなんとか押し止めるものの、男の力は強い。
刀身を握る、血に濡れた手が口元へと差し伸べられる。
「いやだ!!!」
渾身の力を込めて突き放せば、思いのほか簡単に、刀を握る腕を跳ね除けることができた。
けれど、反対側の手が俺の肩を掴んで離さない。
「いやだ!いやだいやだいやだ!!」
「………」
力いっぱい、首を横に振ることで拒絶の意を示す俺の前で、男は諦めたのか刀を地面に突き立てた。
柔らかい土の中へ沈み込む刀身。
「ツナヨシ………戦え」
低い声音が……。
傷口を己の唇に触れさせ、数滴の赤を口に含んだ男が。
顔を、寄せる。
「んっ!……んぐ…!」
押し付けられた弾力。
抵抗の隙すら与えられない、腕の力。
ぎゅっと、両腕で囚われる。
肩を。
背を。
腰を。
絡め取るように、抱きしめられて。
「ん、う…うぅ……」
無理矢理こじ開けられた唇の中。
入り込んできた舌によって、熱い雫が喉に流れていく。
熱い。
熱すぎる。
点滅する視界。
血が、沸き立つ。
「ん……はっ……!」
解放された唇からは、呑みきれなかった赤が滑り落ちてしまった。
ほんのり冷たい指先が、そっと拭い取ってくれる。
心臓が、熱い。
血が沸騰するかのようだ。
震え始めた指先からは、うずくような力の脈動を感じる。
……ああ。なんと、懐かしき調。
忘れていた、過去がフラッシュバックする。
突き立てられた刀に手をかけ、俺はゆらりと身体を木から起こした。
俺たちの後を追って飛び出してきた化け物へと向き直る。
切っ先を掲げ、化け物へと定めれば、ドクンと心臓が強く脈打った。
「……スクアーロ」
「ああ」
血の戦乱が――始まる。
ファーストキス
紫月様、リクエストありがとうございました!